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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その六十二

この公認を贏ち得るまでには、蘭法医は社会において奮闘した。そして彼らの攻撃の衝に当ったものは漢法医である。その応戦の跡は『漢蘭酒話』、『一夕医話』等の如き書に徴して知ることが出来る。抽斎は敢て言をその間に挟まなかったが、心中これがために憂え悶えたことは、想像するに難からぬのである。

その六十二

わたくしは幕府が蘭法医を公認すると同時に抽斎が歿したといった。この公認は安政五年七月初の事で、抽斎は翌八月の末に歿した。

これより先幕府は安政三年二月に、蕃書調所を九段坂下元小姓組番頭格竹本主水正正懋の屋敷跡に創設したが、これは今の外務省の一部に外国語学校を兼たようなもので、医術の事には関せなかった。越えて安政五年に至って、七月三日に松平薩摩守斉彬家来戸塚静海、松平肥前守斉正家来伊東玄朴、松平三河守慶倫家来遠田澄庵、松平駿河守勝道家来青木春岱に奥医師を命じ、二百俵三人扶持を給した。これが幕府が蘭法医を任用した権輿で、抽斎の歿した八月二十八日に先つこと、僅に五十四日である。次いで同じ月の六日に、幕府は御医師即ち官医中有志のものは「阿蘭医術兼学致候とも不苦候」と令した。