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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その三十七

枳園を帰参させようとして、最も尽力したのは伊沢榛軒、柏軒の兄弟であるが、抽斎もまた福山の公用人服部九十郎、勘定奉行小此木伴七、大田、宇川等に内談し、また小島成斎等をして説かしむること数度であった。しかしいつも藩主の反感に阻げられて事が行われなかった。そこで伊沢兄弟と抽斎とは先ず※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭の同情に愬えて幕府の用を勤めさせ、それを規模にして阿部家を説き動そうと決心した。そして終にこの手段を以て成功した。

この期間の末の一年、嘉永元年に至って枳園は躋寿館の一事業たる『千金方』校刻を手伝うべき内命を贏ち得た。そして五月には阿部正弘が枳園の帰藩を許した。

その三十七

阿部家への帰参がって、枳園が家族を纏めて江戸へ来ることになったので、抽斎はお玉が池の住宅の近所に貸家のあったのを借りて、敷金を出し家賃を払い、応急の器什を買い集めてこれを迎えた。枳園だけは病家へ往かなくてはならぬ職業なので、衣類も一通持っていたが、家族は身に着けたものしか持っていなかった。枳園の妻勝の事を、五百があれでは素裸といっても好いといった位である。