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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その八十一
天保九年の生れで、抽斎に従学した安政四年には二十歳であった。その後渋江氏と親んでいて、共に江戸を立った時は三十一歳である。玄隆の妻よしは二十四歳、女ふくは当歳である。
ここにこの一行に加わろうとして許されなかったものがある。わたくしはこれを記するに当って、当時の社会が今と殊なることの甚だしきを感ずる。奉公人が臣僕の関係になっていたことは勿論であるが、出入の職人商人もまた情誼が頗る厚かった。渋江の家に出入する中で、職人には飾屋長八というものがあり、商人には鮓屋久次郎というものがあった。長八は渋江氏の江戸を去る時墓木拱していたが、久次郎は六十六歳の翁になって生存えていたのである。
その八十一
飾屋長八は単に渋江氏の出入だというのみではなかった。天保十年に抽斎が弘前から帰った時、長八は病んで治療を請うた。その時抽斎は長八が病のために業を罷めて、妻と三人の子とを養うことの出来ぬのを見て、長屋に住わせて衣食を給した。それゆえ長八は病が癒えて業に就いた後、長く渋江氏の恩を忘れなかった。安政五年に抽斎の歿した時、長八は葬式の世話をして家に帰り、例に依って晩酌の一合を傾けた。