轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その八

そのうち丁度わたくしが渋江氏の子孫を捜しはじめた頃、保さんの女冬子さんが病死した。それを保さんが姉に報じたので、勝久さんは弟の所在を知った。終吉さんが住所を告げてくれた叔父というのが即ち保さんである。是においてわたくしは、外崎さんの捜索を煩すまでもなく、保さんの今の牛込船河原町の住所を知って、直にそれを外崎さんに告げた。

その八

わたくしは谷中の感応寺に往って、抽斎の墓を訪ねた。墓は容易く見附けられた。南向の本堂の西側に、西に面して立っている。「抽斎渋江君墓碣銘」という篆額も墓誌銘も、皆小島成斎の書である。漁村の文は頗る長い。後に保さんに聞けば、これでも碑が余り大きくなるのを恐れて、割愛して刪除したものだそうである。『喫茗雑話』の載する所は三分の一にも足りない。わたくしはまた後に五弓雪窓がこの文を『事実文編』巻の七十二に収めているのを知った。国書刊行会本を閲するに、誤脱はないようである。ただ「撰経籍訪古志」に訓点を施して、経籍を撰び、古志を訪うと訓ませてあるのに慊なかった。『経籍訪古志』の書名であることは論ずるまでもなく、あれは多紀庭の命じた名だということが、抽斎と森枳園との作った序に見えており、訪古の字面は、『宋史』