轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その五十二
家督の時は表医者であった。令図、富穀の父子は共に貨殖に長じて、弘前藩定府中の富人であった。妹秀は長谷川町の外科医鴨池道碩に嫁した。
多紀氏ではこの年二月十四日に、矢の倉の末家の庭が六十三歳で歿し、十一月に向柳原の本家の暁湖が五十二歳で歿した。わたくしの所蔵の安政四年「武鑑」は、※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭が既に逝いて、暁湖がなお存していた時に成ったもので、※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭の子安琢が多紀安琢二百俵、父楽春院として載せてあり、暁湖は旧に依って多紀安良法眼二百俵、父安元として載せてある。※(「くさかんむり/頤のへん」、第4水準2-86-13)庭の楽真院を、「武鑑」には前から楽春院に作ってある。その何の故なるを詳にしない。
その五十二
庭、名は元堅、字は亦柔、一に三松と号す。通称は安叔、後楽真院また楽春院という。寛政七年に桂山の次男に生れた。幼時犬を闘わしむることを好んで、学業を事としなかったが、人が父兄に若かずというを以て責めると、「今に見ろ、立派な医者になって見せるから」といっていた。