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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その七十二
周禎はひどく迷惑らしい答をしたが、後に渋りながらも承諾した。想うに上原は周禎を矢島氏の嗣となすに当って、株の売渡のような形式を用いたのであろう。上原は渋江氏に対して余り同情を有せぬ人で、優善には屁の糟という渾名をさえ附けていたそうである。
山田の塾には当時門人十九人が寄宿していたが、いまだ幾もあらぬに梅林松弥というものと優善とが塾頭にせられた。梅林は初め抽斎に学び、後此に来たもので、維新後名を潔と改め、明治二十一年一月十四日に陸軍一等軍医を以て終った。
比良野氏ではこの年同藩の物頭二百石稲葉丹下の次男房之助を迎えて養子とした。これは貞固が既に五十歳になったのに、妻かなが子を生まぬからであった。房之助は嘉永四年八月二日生で、当時十一歳になっていて、学問よりは武芸が好であった。
その七十二
矢川氏ではこの年文一郎が二十一歳で、本所二つ目の鉄物問屋平野屋の女柳を娶った。
石塚重兵衛の豊芥子は、この年十二月十五日に六十三歳で歿した。豊芥子が渋江氏の扶助を仰ぐことは、殆ど恒例の如くになっていた。五百は石塚氏にわたす金を記す帳簿を持っていたそうである。しかし抽斎はこの人の文字を識って、広く市井の事に通じ、また劇の沿革を審にしているのを愛して、来り訪うごとに歓び迎えた。