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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その八十八
これは師たる兼松石居が已に屏居を免されて藩の督学を拝したので、その門人もまた挙用せられたのである。かつ先例を按ずるに、歯科医佐藤春益の子は、単に幼くして家督したために、平士にせられている。いわんや成善は分明に儒職にさえ就いているのである。成善がこの令を己に適用せられようと思わなかったのも無理はない。
しかし成善は念のために大参事西館孤清、少参事兼大隊長加藤武彦の二人を見て意見を叩いた。二人皆成善は医として視るべきものでないといった。武彦は前の側用人兼用人清兵衛の子である。何ぞ料らん、成善は医者と看做されて降等に逢い、三十俵の禄を受くることとなり、あまつさえ士籍の外にありなどとさえいわれたのである。成善は抗告を試みたが、何の功をも奏せなかった。
その八十八
何故に儒を以て仕えている成善に、医者降等の令を適用したかというに、それは想像するに難くはない。渋江氏は世儒を兼ねて、命を受けて経を講じてはいたが、家は本医道の家である。成善に至っても、幼い時から多紀安琢の門に入っていた。また已に弘前に来た後も、医官北岡太淳、手塚元瑞、今春碩らは成善に兼て医を以て仕えんことを勧め、こういう事を言った。