轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その三十九
「わたくしがこう申すと、ひどく出過ぎた口をきくようではございますが、御一代に幾度というおめでたい事のある中で、金銭の事位で御心配なさるのを、黙って見ていることは出来ませぬ。どうぞ費用の事はわたくしにお任せなすって下さいまし。」
抽斎は目をった。「お前そんな事を言うが、何百両という金は容易に調達せられるものではない。お前は何か当があってそういうのか。」
五百はにっこり笑った。「はい。幾らわたくしが痴でも、当なしには申しませぬ。」
その三十九
五百は女中に書状を持たせて、ほど近い質屋へ遣った。即ち市野迷庵の跡の家である。彼の今に至るまで石に彫られずにある松崎慊堂の文にいう如く、迷庵は柳原の店で亡くなった。その跡を襲いだのは松太郎光寿で、それが三右衛門の称をも継承した。迷庵の弟光忠は別に外神田に店を出した。これより後内神田の市野屋と、外神田の市野屋とが対立していて、彼は世三右衛門を称し、此は世市三郎を称した。五百が書状を遣った市野屋は当時弁慶橋にあって、早くも光寿の子光徳の代になっていた。光寿は迷庵の歿後僅に五年にして、天保三年に光徳を家督させた。光徳は小字を徳治郎といったが、この時更めて三右衛門を名告った。