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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その十六
即ち対症療法の完全ならんことを期したのである。
その十六
わたくしは抽斎の師となるべき人物を数えて京水に及ぶに当って、ここに京水の身上に関する疑を記して、世の人の教を受けたい。
わたくしは今これを筆に上するに至るまでには、文書を捜り寺院を訪い、また幾多の先輩知友を煩わして解決を求めた。しかしそれは概ね皆徒事であった。就中憾とすべきは京水の墓の失踪した事である。
最初にわたくしに京水の墓の事を語ったのは保さんである。保さんは幼い時京水の墓に詣でたことがある。しかし寺の名は記憶していない。ただ向島であったというだけである。そのうちわたくしは富士川游さんに種々の事を問いに遣った。富士川さんがこれに答えた中に、京水の墓は常泉寺の傍にあるという事があった。
わたくしは幼い時向島小梅村に住んでいた。初の家は今須崎町になり、後の家は今小梅町になっている。その後の家から土手へ往くには、いつも常泉寺の裏から水戸邸の北のはずれに出た。常泉寺はなじみのある寺である。
わたくしは常泉寺に往った。今は新小梅町の内になっている。枕橋を北へ渡って、徳川家の邸の南側を行くと、同じ側に常泉寺の大きい門がある。