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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その四十八
平川は後に藩士が悉く津軽に遷るに及んで、独り永の暇を願って、深川に米店を開いた人である。
その四十八
抽斎が本所二つ目の津軽家上屋敷から、台所町に引き返して見ると、住宅は悉く傾き倒れていた。二階の座敷牢は粉韲せられて迹だに留めなかった。対門の小姓組番頭土屋佐渡守邦直の屋敷は火を失していた。
地震はその夜歇んでは起り、起っては歇んだ。町筋ごとに損害の程度は相殊っていたが、江戸の全市に家屋土蔵の無瑕なものは少かった。上野の大仏は首が砕け、谷中天王寺の塔は九輪が落ち、浅草寺の塔は九輪が傾いた。数十カ所から起った火は、三日の朝辰の刻に至って始て消された。公に届けられた変死者が四千三百人であった。
三日以後にも昼夜数度の震動があるので、第宅のあるものは庭に小屋掛をして住み、市民にも露宿するものが多かった。将軍家定は二日の夜吹上の庭にある滝見茶屋に避難したが、本丸の破損が少かったので翌朝帰った。
幕府の設けた救小屋は、幸橋外に一カ所、上野に二カ所、浅草に一カ所、深川に二カ所であった。
この年抽斎は五十一歳、五百は四十歳になって、子供には陸、水木、専六、翠暫の四人がいた。