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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その九十二

父抽斎は遺言して蘭語を学ばしめようとしたのに、時代の変遷は学ぶべき外国語を易うるに至らしめたのである。共立学舎は尺振八の経営する所である。振八、初の名を仁寿という。下総国高岡の城主井上筑後守正滝の家来鈴木伯寿の子である。天保十年に江戸佐久間町に生れ、安政の末年に尺氏を冒した。田辺太一に啓発せられて英学に志し、中浜万次郎、西吉十郎等を師とし、次で英米人に親炙し、文久中仏米二国に遊んだ。成善が従学した時は三十三歳になっていた。

その九十二

成善は四月に海保の伝経廬に入り、五月に尺の共立学舎に入ったが、六月から更に大学南校にも籍を置き、日課を分割して三校に往来し、なお放課後にはフルベックの許を訪うて教を受けた。フルベックは本和蘭人で亜米利加合衆国に民籍を有していた。日本の教育界を開拓した一人である。

学資は弘前藩から送って来る五人扶持の中三人扶持を売って弁ずることが出来た。当時の相場で一カ月金二両三分二朱と四百六十七文であった。書籍は英文のものは初より新に買うことを期していたが、漢書は弘前から抽斎の手沢本を送ってもらうことにした。然るにこの書籍を積んだ舟が、航海中七月九日に暴風に遭って覆って、抽斎のかつて蒐集した古刊本等の大部分が海若の有に帰した。