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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その百十二
手も出さで机に向ふ寒さ哉
物売の皆頭巾着て出る夜哉
凩や土器乾く石燈籠
雪の日や鶏の出て来る炭俵
明治四十四年には保の三男純吉が十七歳で八月十一日に死んだ。大正二年には保が七月十二日に麻布西町十五番地に、八月二十八日に同区本村町八番地に移った。三年には九月九日に今の牛込船河原町の家に移った。四年には保の次女冬が十月十三日に二十三歳で歿した。これが抽斎歿後の第五十二年から第五十六年に至る事略である。
その百十二
抽斎の後裔にして今に存じているものは、上記の如く、先ず指を牛込の渋江氏に屈せなくてはならない。主人の保さんは抽斎の第七子で、継嗣となったものである。経を漁村、竹逕の海保氏父子、島田篁村、兼松石居、根本羽嶽に、漢医方を多紀雲従に受け、師範学校において、教育家として養成せられ、共立学舎、慶応義塾において英語を研究し、浜松、静岡にあっては、あるいは校長となり、あるいは教頭となり、旁新聞記者として、政治を論じた。しかし最も大いに精力を費したものは、書肆博文館のためにする著作翻訳で、その刊行する所の書が、通計約百五十部の多きに至っている。その書は随時世人を啓発した功はあるにしても、概皆時尚を追う書估の誅求に応じて筆を走らせたものである。