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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その十四
然るに世の人は更に一人の三右衛門を加えて、三三右衛門などともいう。この今一人の三右衛門は喜多氏、名は慎言、字は有和、梅園また静廬と号し、居る所を四当書屋と名づけた。その氏の喜多を修して北慎言とも署した。新橋金春屋敷に住んだ屋根葺で、屋根屋三右衛門が通称である。本は芝の料理店鈴木の倅定次郎で、屋根屋へは養子に来た。少い時狂歌を作って網破損針金といっていたのが、後博渉を以て聞えた。嘉永元年三月二十五日に、八十三歳で亡くなったというから、抽斎の生れた時には、その師となるべき迷庵と同じく四十一歳になっていたはずである。この三右衛門が殆ど毎日往来した小山田与清の『擁書楼日記』を見れば、文化十二年に五十一歳だとしてあるから、この推算は誤っていないつもりである。しかしこの人を迷庵※(「木+夜」、第3水準1-85-76)斎と併せ論ずるのは、少しく西人のいわゆる髪を握んで引き寄せた趣がある。屋根屋三右衛門と抽斎との間には、交際がなかったらしい。
その十四
後に抽斎に医学を授ける人は伊沢蘭軒である。名は信恬、通称は辞安という。伊沢氏の宗家は筑前国福岡の城主黒田家の臣であるが、蘭軒はその分家で、備後国福山の城主阿部伊勢守正倫の臣である。