轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その六十七
その六十七
抽斎の歿した翌年安政六年には、十一月二十八日に矢島優善が浜町中屋敷詰の奥通にせられた。表医者の名を以て信順の側に侍することになったのである。今なお信頼しがたい優善が、責任ある職に就いたのは、五百のために心労を増す種であった。
抽斎の姉須磨の生んだ長女延の亡くなったのは、多分この年の事であっただろう。允成の実父稲垣清蔵の養子が大矢清兵衛で、清兵衛の子が飯田良清で、良清の女がこの延である。容貌の美しい女で、小舟町の鰹節問屋新井屋半七というものに嫁していた。良清の長男直之助は早世して、跡には養子孫三郎と、延の妹路とが残った。孫三郎の事は後に見えている。
抽斎歿後の第二年は万延元年である。成善はまだ四歳であったが、夙くも浜町中屋敷の津軽信順に近習として仕えることになった。勿論時々機嫌を伺いに出るに止まっていたであろう。この時新に中小姓になって中屋敷に勤める矢川文一郎というものがあって、穉い成善の世話をしてくれた。
矢川には本末両家がある。本家は長足流の馬術を伝えていて、世文内と称した。先代文内の嫡男与四郎は、当時順承の側用人になって、父の称を襲いでいた。