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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その八十四
小野元秀は弘前藩士対馬幾次郎の次男で、小字を常吉といった。十六、七歳の時、父幾次郎が急に病を発した。常吉は半夜馳せて医師某の許に往った。某は家にいたのに、来り診することを肯ぜなかった。常吉はこの時父のために憂え、某のために惜んで、心にこれを牢記していた。後に医となってから、人の病あるを聞くごとに、家の貧富を問わず、地の遠近を論ぜず、食うときには箸を投じ、臥したるときには被を蹴て起ち、径ちに往いて診したのは、少時の苦き経験を忘れなかったためだそうである。元秀は二十六歳にして同藩の小野秀徳の養子となり、その長女そのに配せられた。
元秀は忠誠にして廉潔であった。近習医に任ぜられてからは、詰所に出入するに、朝には人に先んじて往き、夕には人に後れて反った。そして公退後には士庶の病人に接して、絶て倦む色がなかった。
稽古館教授にして、五十石町に私塾を開いていた工藤他山は、元秀と親善であった。これは他山がいまだ仕途に就かなかった時、元秀がその貧を知って、を受けずして懇に治療した時からの交である。他山の子外崎さんも元秀を識っていたが、これを評して温潤良玉の如き人であったといっている。