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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その百一

保らは浜松から東京に来た時、二人の同行者があった。一人は山田要蔵、一人は中西常武である。

山田は遠江国敷智郡都築の人である。父を喜平といって、畳問屋である。その三男要蔵は元治元年生の青年で、渋江の家から浜松中学校に通い、卒業して東京に来たのである。時に年十六であった。中西は伊勢国度会郡山田岩淵町の人中西用亮の弟である。愛知師範学校に学んで卒業し、浜松中学校の教員になっていた。これは職を罷めて東京に来た時二十七、八歳であった。山田も中西も、保と同じく慶応義塾に入らんと欲して、共に入京したのである。

その百一

保は東京に著いた翌日、十一月四日に慶応義塾に往って、本科第三等に編入せられた。

同行者の山田は、保と同じく本科に、中西は別科に入った。後山田は明治十四年に優等を以て卒業して、一時義塾の教員となり、既にして伊東氏を冒し、衆議院議員に選ばれ、今は某銀行、某会社の重役をしている。中西は別科を修めた後に郷に帰った。

保は慶応義塾の生徒となってから三日目に、万来舎において福沢諭吉を見た。万来舎は義塾に附属したクラブ様のもので、福沢は毎日午後に来て文明論を講じていた。