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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その十九

如電さんの事は墨汁師の書状によって知ったが、恐らくは郷土史の嗜好あるがために、踏査の労をさえ厭わなかったのであろう。ただ憾むらくもわたくしは徒にこれらの諸家を煩わしたに過ぎなかった。

これに反してわたくしが多少積極的に得る所のあったのは、富士川游さんと墨汁師とのお蔭である。わたくしは数度書状の往復をした末に、或日富士川さんの家を訪うた。そしてこういうことを聞いた。富士川さんは昔年日本医学史の資料を得ようとして、池田氏の墓に詣でた。医学史の記載中脚註に墓誌と書してあるのは、当時墓について親しく抄記したものだというのである。惜むらくは富士川さんは墓誌銘の全文を写して置かなかった。また嶺松寺という寺号をも忘れていた。それゆえわたくしに答えた書に常泉寺の傍と記したのである。是においてかつて親しく嶺松寺中の碑碣を睹た人が三人になった。保さんと游さんと墨汁師とである。そして游さんは湮滅の期に薄っていた墓誌銘の幾句を、図らずも救抜してくれたのである。

その十九

弘福寺の現住墨汁師は大正五年に入ってからも、捜索の手を停めずにいた。そしてとうとう下目黒村海福寺所蔵の池田氏過去帖というものを借り出して、わたくしに見せてくれた。