轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その百十八

しかし勝久は自ら励まして常に親しくしている勝ふみを呼びに遣った。介抱かたがた同行することを求めたのであった。二人は新橋から汽車に乗って、鎌倉へ往った。勝三郎はこの夕に世を去った。年は三十八であった。法諡を蓮生院薫誉智才信士という。

その百十八

九月十二日に勝久は三世勝二郎の柩を荼所まで見送って、そこから車を停車場へ駆り、夜東京に還った。勝三郎が歿した後に、杵勝分派の団結を維持して行くには、一刻も早く除かなくてはならぬ障礙がある。それは勝三郎の生前に、勝久らが百方調停したにもかかわらず、宥されずにしまった高足弟子勝四郎の勘気である。勝久は鎌倉にある間も、東京へ帰る途上でも、須臾もこれを忘れることが出来なかった。

十三日の昧爽に、勝久は森田町の勝四郎が家へ手紙を遣った。「定めし御聞込の事とは存じ候へども、杵屋御家元様は御死去被遊候。夫に付私共は今日午後四時御同所に相寄候事に御坐候。此際御前様御心底は奈何に候哉。私存じ候には、同刻御自身の思召にて馬喰町へ御出被成候方宜敷候様存じ候。田原町へ一寸御立寄被成候て御出被成度存じ候。さ候はゞ及ばずながら奈何様にも御都合宜敷様可致候。