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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その七十七

この年六月中旬から八月下旬まで麻疹が流行して、渋江氏の亀沢町の家へ、御柳の葉と貝多羅葉とを貰いに来る人が踵を接した。二樹の葉が当時民間薬として用いられていたからである。五百は終日応接して、諸人の望に負かざらんことを努めた。

その七十七

抽斎歿後の第五年は文久三年である。成善は七歳で、始て矢の倉の多紀安琢の許に通って、『素問』の講義を聞いた。

伊沢柏軒はこの年五十四歳で歿した。徳川家茂に随って京都に上り、病を得て客死したのである。嗣子鉄三郎の徳安がお玉が池の伊沢氏の主人となった。

この年七月二十日に山崎美成が歿した。抽斎は美成と甚だ親しかったのではあるまい。しかし二家書庫の蔵する所は、互に出だし借すことを吝まなかったらしい。頃日珍書刊行会が『後昔物語』を刊したのを見るに、抽斎の奥書がある。「右喜三二随筆後昔物語一巻。借好間堂蔵本。友人平伯民為予謄写。庚子孟冬一校。抽斎。」庚子は天保十一年で、抽斎が弘前から江戸に帰った翌年である。平伯民は平井東堂だそうである。

美成、字は久卿、北峰、好問堂等の号がある。通称は新兵衛、後久作と改めた。下谷二長町に薬店を開いていて、屋号を長崎屋といった。