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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その二十二

わたくしはここに真志屋五郎作と石塚重兵衛とを数えんがために、芸術批評家の目を立てた。二人は皆劇通であったから、此の如くに名づけたのである。あるいはおもうに、批評家といわんよりは、むしろアマトヨオルというべきであったかも知れない。

抽斎が後劇を愛するに至ったのは、当時の人の眼より観れば、一の癖好であった。どうらくであった。啻に当時において然るのみではない。是の如くに物を観る眼は、今もなお教育家等の間に、前代の遺物として伝えられている。わたくしはかつて歴史の教科書に、近松、竹田の脚本、馬琴、京伝の小説が出て、風俗の頽敗を致したと書いてあるのを見た。

しかし詩の変体としてこれを視れば、脚本、小説の価値も認めずには置かれず、脚本に縁って演じ出す劇も、高級芸術として尊重しなくてはならなくなる。わたくしが抽斎の心胸を開発して、劇の趣味を解するに至らしめた人々に敬意を表して、これを学者、医者、画家の次に数えるのは、好む所に阿るのではない。

その二十二

真志屋五郎作は神田新石町の菓子商であった。水戸家の賄方を勤めた家で、或時代から故あって世禄三百俵を給せられていた。