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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
その六十
抽斎はいかにこれに処したか。
この問題は抽斎をして思慮を費さしむることを要せなかった。何故というに、渋江氏の勤王は既に久しく定まっていたからである。
その六十
渋江氏の勤王はその源委を詳にしない。しかし抽斎の父允成に至って、師柴野栗山に啓発せられたことは疑を容れない。允成が栗山に従学した年月は明でないが、栗山が五十三歳で幕府の召に応じて江戸に入った天明八年には、允成が丁度二十五歳になっていた。家督してから四年の後である。允成が栗山の門に入ったのは、恐らくはその後久しきを経ざる間の事であっただろう。これは栗山が文化四年十二月朔に七十二歳で歿したとして推算したものである。
允成の友にして抽斎の師たりし市野迷庵が勤王家であったことは、その詠史の諸作に徴して知ることが出来る。この詩は維新後森枳園が刊行した。抽斎は啻に家庭において王室を尊崇する心を養成せられたのみでなく、また迷庵の説を聞いて感奮したらしい。
抽斎の王室における、常に耿々の心を懐いていた。そしてかつて一たびこれがために身命を危くしたことがある。保さんはこれを母五百に聞いたが、憾むらくはその月日を詳にしない。