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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

その八十五

後山澄は海軍大尉を以て終り、柏原は海軍少将を以て終った。藤田さんは今攻玉社長をしている。攻玉社は後に近藤真琴の塾に命ぜられた名である。初め麹町八丁目の鳥羽藩主稲垣対馬守長和の邸内にあったのが、中ごろ築地海軍操練所内に移るに及んで、始めて攻玉塾と称し、次で芝神明町の商船黌と、芝新銭座の陸地測量習練所とに分離し、二者の総称が攻玉社となり、明治十九年に至るまで、近藤自らこれを経営していたのである。

その八十五

小野富穀とその子道悦とが江戸を引き上げたのは、この年二月二十三日で、道中に二十五日を費し、三月十八日に弘前に著いた。渋江氏の弘前に入るに先つこと二カ月足らずである。

矢島優善が隠居させられた時、跡を襲いだ周禎の一家も、この年に弘前へ徙ったが、その江戸を発する時、三男三蔵は江戸に留まった。前に小田原へ往った長男周碩と、この三蔵とは、後にカトリック教の宣教師になったそうである。弘前へ往った周禎は表医者奥通に進み、その次男で嗣子にせられた周策もまた目見の後表医者を命ぜられた。

抽斎の姉須磨の夫飯田良清の養子孫三郎は、この年江戸が東京と改称した後、静岡藩に赴いて官吏になった。