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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
の朱印がこの写本にもある。
わたくしはこれを見て、ふと渋江氏と抽斎とが同人ではないかと思った。そしてどうにかしてそれを確めようと思い立った。
わたくしは友人、就中東北地方から出た友人に逢うごとに、渋江を知らぬか、抽斎を知らぬかと問うた。それから弘前の知人にも書状を遣って問い合せた。
或る日長井金風さんに会って問うと、長井さんがいった。「弘前の渋江なら蔵書家で『経籍訪古志』を書いた人だ」といった。しかし抽斎と号していたかどうだかは長井さんも知らなかった。『経籍訪古志』には抽斎の号は載せてないからである。
そのうち弘前に勤めている同僚の書状が数通届いた。わたくしはそれによってこれだけの事を知った。渋江氏は元禄の頃に津軽家に召し抱えられた医者の家で、代々勤めていた。しかし定府であったので、弘前には深く交った人が少く、また渋江氏の墓所もなければ子孫もない。今東京にいる人で、渋江氏と交ったかと思われるのは、飯田巽という人である。また郷土史家として渋江氏の事蹟を知っていようかと思われるのは、外崎覚という人であるという事である。中にも外崎氏の名を指した人は、郷土の事に精しい佐藤弥六さんという老人で、当時大正四年に七十四歳になるといってあった。