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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

たらしい。抽斎は人の寸長をも見さずに、これに保護を加えて、幾どその瑕疵を忘れたるが如くであった。年来森枳園を扶掖しているのもこれがためである。今良三を家に置くに至ったのも、良三に幾分の才気のあるのを認めたからであろう。固より抽斎の許には、常に数人の諸生が養われていたのだから、良三はただこの群に新に来り加わったに過ぎない。

数月の後に、抽斎は良三を安積艮斎の塾に住み込ませた。これより先艮斎は天保十三年に故郷に帰って、二本松にある藩学の教授になったが、弘化元年に再び江戸に来て、嘉永二年以来昌平黌の教授になっていた。抽斎は彼の終始濂渓の学を奉じていた艮斎とは深く交らなかったのに、これに良三を託したのは、良三の吏材たるべきを知って、これを培養することを謀ったのであろう。

抽斎の先妻徳の里方岡西氏では、この年七月二日に徳の父栄玄が歿し、次いで十一月十一日に徳の兄玄亭が歿した。

栄玄は医を以て阿部家に仕えた。長子玄亭が蘭軒門下の俊才であったので、抽斎はこれと交を訂し、遂にその妹徳を娶るに至ったのである。徳の亡くなった後も、次男優善がその出であるので、抽斎一家は岡西氏と常に往来していた。