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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
それから二十七日に至るまで、諸証は次第に険悪になるばかりであった。
多紀安琢、同元佶、伊沢柏軒、山田椿庭らが病牀に侍して治療の手段を尽したが、功を奏せなかった。椿庭、名は業広、通称は昌栄である。抽斎の父允成の門人で、允成の歿後抽斎に従学した。上野国高崎の城主松平右京亮輝聡の家来で、本郷弓町に住んでいた。
抽斎は時々譫語した。これを聞くに、夢寐の間に『医心方』を校合しているものの如くであった。
抽斎の病況は二十八日に小康を得た。遺言の中に、兼て嗣子と定めてあった成善を教育する方法があった。経書を海保漁村に、筆札を小島成斎に、『素問』を多紀安琢に受けしめ、機を看て蘭語を学ばしめるようにというのである。
二十八日の夜丑の刻に、抽斎は遂に絶息した。即ち二十九日午前二時である。年は五十四歳であった。遺骸は谷中感応寺に葬られた。
抽斎の歿した跡には、四十三歳の未亡人五百を始として、岡西氏の出次男矢島優善二十四歳、四女陸十二歳、六女水木六歳、五男専六五歳、六男翠暫四歳、七男成善二歳の四子二女が残った。優善を除く外は皆山内氏五百の出である。
抽斎の子にして父に先って死んだものは、尾島氏の出長男恒善、比良野氏の出馬場玄玖妻長女純、岡西氏の出二女好、三男八三郎、山内氏の出三女山内棠、四男幻香、五女癸巳、七女幸の三子五女である