轻读日语

轻松读懂日语经典作品

ja-reading.com

轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。

しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

といった。

要するに迷庵も抽斎も、道に至るには考証に由って至るより外ないと信じたのである。固よりこれは捷径ではない。迷庵が精出して文字を覚えるといい、抽斎が小学に熟練するといっているこの事業は、これがために一人の生涯を費すかも知れない。幾多のジェネラションのこの間に生じ来り滅し去ることを要するかも知れない。しかし外に手段の由るべきものがないとすると、学者は此に従事せずにはいられぬのである。

然らば学者は考証中に没頭して、修養に遑がなくなりはせぬか。いや。そうではない。考証は考証である。修養は修養である。学者は考証の長途を歩みつつ、不断の修養をなすことが出来る。

抽斎はそれをこう考えている。百家の書に読まないで好いものはない。十三経といい、九経といい、六経という。列べ方はどうでも好いが、秦火に焚かれた楽経は除くとして、これだけは読破しなくてはならない。しかしこれを読破した上は、大いに功を省くことが出来る。「聖人の道と事々しく云へども、前に云へる如く、六経を読破したる上にては、論語、老子の二書にて事足るなり。其中にも過猶不及を身行の要とし、無為不言を心術の掟となす。