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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

嘉永三年に二十九歳で奥医師になっていた。

説文会には島田篁村も時々列席した。篁村は武蔵国大崎の名主島田重規の子である。名は重礼、字は敬甫、通称は源六郎といった。艮斎、漁村の二家に従学していた。天保九年生であるから、嘉永、安政の交にはなお十代の青年であった。抽斎の歿した時、豊村は丁度二十一になっていたのである。

抽斎の好んで読んだ小説は、赤本、菎蒻本、黄表紙の類であった。想うにその自ら作った『呂后千夫』は黄表紙の体に倣ったものであっただろう。

抽斎がいかに劇を好んだかは、劇神仙の号を襲いだというを以て、想見することが出来る。父允成がしばしば戯場に出入したそうであるから、殆ど遺伝といっても好かろう。然るに嘉永二年に将軍に謁見した時、要路の人が抽斎に忠告した。それは目見以上の身分になったからは、今より後市中の湯屋に往くことと、芝居小屋に立ち入ることとは遠慮するが宜しいというのであった。渋江の家には浴室の設があったから、湯屋に往くことは禁ぜられても差支がなかった。しかし観劇を停められるのは、抽斎の苦痛とする所であった。抽斎は隠忍して姑く忠告に従っていた。