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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
渋江の家には抽斎の歿後に、既にいうように、未亡人五百、陸、水木、専六、翠暫、嗣子成善と矢島氏を冒した優善とが遺っていた。十月朔に才に二歳で家督相続をした成善と、他の五人の子との世話をして、一家の生計を立てて行かなくてはならぬのは、四十三歳の五百であった。
遺子六人の中で差当り問題になっていたのは、矢島優善の身の上である。優善は不行跡のために、二年前に表医者から小普請医者に貶せられ、一年前に表医者介に復し、父を喪う年の二月に纔に故の表医者に復することが出来たのである。
しかし当時の優善の態度には、まだ真に改悛したものとは看做しにくい所があった。そこで五百は旦暮周密にその挙動を監視しなくてはならなかった。
残る五人の子の中で、十二歳の陸、六歳の水木、五歳の専六はもう読書、習字を始めていた。陸や水木には、五百が自ら句読を授け、手跡は手を把って書かせた。専六は近隣の杉四郎という学究の許へ通っていたが、これも五百が復習させることに骨を折った。また専六の手本は平井東堂が書いたが、これも五百が臨書だけは手を把って書かせた。午餐後日の暮れかかるまでは、五百は子供の背後に立って手習の世話をしたのである。