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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
今の神田淡路町である。手習に来る児童の数は頗る多く、二階の三室に机を並べて習うのであった。成善が相識の兄弟子には、嘉永二年生で十二歳になる伊沢鉄三郎がいた。柏軒の子で、後に徳安と称し、維新後に磐と更めた人である。成斎は手に鞭を執って、正面に坐していて、筆法を誤ると、鞭の尖で指し示した。そして児童を倦ましめざらんがためであろうか、諧謔を交えた話をした。その相手は多く鉄三郎であった。成善はまだ幼いので、海保へ往くにも、小島へ往くにも若党に連れられて行った。鉄三郎にも若党が附いて来たが、これは父が奥詰医師になっているので、従者らしく附いて来たのである。
抽斎の墓碑が立てられたのもこの年である。海保漁村の墓誌はその文が頗る長かったのを、豊碑を築き起して世に傲るが如き状をなすは、主家に対して憚があるといって、文字を識る四、五人の故旧が来て、胥議して斧鉞を加えた。その文の事を伝えて完からず、また間実に悖るものさえあるのは、この筆削のためである。
建碑の事が畢ってから、渋江氏は台所町の邸を引き払って亀沢町に移った。これは淀川過書船支配角倉与一の別邸を買ったのである。