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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
とあるのは、抽斎の生母岩田氏縫、「妙稟童女、父名允成、母川崎氏、寛政六年甲寅三月七日、三歳而夭、俗名逸」とあるのも、「曇華水子、文化八年辛未閏二月十四日」とあるのも、並に皆允成の女である。その二には「至善院格誠日在、寛保二年壬戌七月二日」と一行に彫り、それと並べて「終事院菊晩日栄、嘉永七年甲寅三月十日」と彫ってある。至善院は抽斎の曾祖父為隣で、終事院は抽斎が五十歳の時父に先って死んだ長男恒善である。その三には五人の法諡が並べて刻してある。「医妙院道意日深信士、天明四甲辰二月二十九日」としてあるのは、抽斎の祖父本皓である。「智照院妙道日修信女、寛政四壬子八月二十八日」としてあるのは、本皓の妻登勢である。「性蓮院妙相日縁信女、父本皓、母渋江氏、安永六年丁酉五月三日死、享年十九、俗名千代、作臨終歌曰」云々としてあるのは、登勢の生んだ本皓の女である。抽斎の高祖父輔之は男子がなくて歿したので、十歳になる女登勢に壻を取ったのが為隣である。為隣は登勢の人と成らぬうちに歿した。そこへ本皓が養子に来て、登勢の配偶になって、千代を生ませたのである。千代が十九歳で歿したので、渋江氏の血統は一たび絶えた。