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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

晩年には飯田町の鍋島というものの邸内にいたそうである。黐木坂下に鍋島穎之助という五千石の寄合が住んでいたから、定めてその邸であろう。

美成の歿した時の齢を六十七歳とすると、抽斎より長ずること八歳であっただろう。しかし諸書の記載が区々になっていて、確には定めがたい。

抽斎歿後の第六年は元治元年である。森枳園が躋寿館の講師たるを以て、幕府の月俸を受けることになった。

第七年は慶応元年である。渋江氏では六月二十日に翠暫が十一歳で夭札した。

比良野貞固はこの年四月二十七日に妻かなの喪に遭った。かなは文化十四年の生で四十九歳になっていた。内に倹素を忍んで、外に声望を張ろうとする貞固が留守居の生活は、かなの内助を待って始て保続せられたのである。かなの死後に、親戚僚属は頻に再び娶らんことを勧めたが、貞固は「五十を踰えた花壻になりたくない」といって、久しくこれに応ぜずにいた。

第八年は慶応二年である。海保漁村が九年前に病に罹り、この年八月その再発に逢い、九月十八日に六十九歳で歿したので、十歳の成善は改めてその子竹逕の門人になった。しかしこれは殆ど名義のみの変更に過ぎなかった。