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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
津軽家に奉公したことはあっても、生れてから江戸の土地を離れたことのない女である。それを弘前へ伴うことは、五百がためにも望ましくない。また老いさらぼいたる本人のためにも、長途の旅をして知人のない遠国に往くのはつらいのである。
本妙了は特に渋江氏に縁故のある女ではない。神田豊島町の古着屋の女に生れて、真寿院の女小姓を勤めた。さて暇を取ってから人に嫁し、夫を喪って剃髪した。夫の弟が家を嗣ぐに及んで、初め恋愛していたために今憎悪する戸主に虐遇せられ、それを耐え忍んで年を経た。亡夫の弟の子の代になって、虐遇は前に倍し、あまつさえ眼病を憂えた。これが弘化二年で、妙了が六十五歳になった時である。
妙了は眼病の治療を請いに抽斎の許へ来た。前年に来り嫁した五百が、老尼の物語を聞いて気の毒がって、遂に食客にした。それからは渋江の家にいて子供の世話をし、中にも棠と成善とを愛した。
妙了の最も近い親戚は、本所相生町に石灰屋をしている弟である。しかし弟は渋江氏の江戸を去るに当って、姉を引き取ることを拒んだ。その外今川橋の飴屋、石原の釘屋、箱崎の呉服屋、豊島町の足袋屋なども、皆縁類でありながら、一人として老尼の世話をしようというものはなかった。