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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
そして「あの檀那様がお亡くなりなすって見れば、己もお供をしても好いな」といった。それから二階に上がって寝たが、翌朝起きて来ぬので女房が往って見ると、長八は死んでいたそうである。
鮓屋久次郎は本ぼて振の肴屋であったのを、五百の兄栄次郎が贔屓にして資本を与えて料理店を出させた。幸に鮓久の庖丁は評判が好かったので、十ばかり年の少い妻を迎えて、天保六年に倅豊吉をもうけた。享和三年生の久次郎は当時三十三歳であった。後九年にして五百が抽斎に嫁したので、久次郎は渋江氏にも出入することになって、次第に親しくなっていた。
渋江氏が弘前に徙る時、久次郎は切に供をして往くことを願った。三十四歳になった豊吉に、母の世話をさせることにして置いて、自分は単身渋江氏の供に立とうとしたのである。この望を起すには、弘前で料理店を出そうという企業心も少し手伝っていたらしいが、六十六歳の翁が二百里足らずの遠路を供に立って行こうとしたのは、主に五百を尊崇する念から出たのである。渋江氏では故なく久次郎の願を却けることが出来ぬので、藩の当事者に伺ったが、当事者はこれを許すことを好まなかった。