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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

領主佐竹右京大夫義堯は、弘前の津軽承昭と共に官軍方になっていたからである。秋田領は無事に過ぎた。

さて矢立峠を踰え、四十八川を渡って、弘前へは往くのである。矢立峠の分水線が佐竹、津軽両家の領地界である。そこを少し下ると、碇関という関があって番人が置いてある。番人は鑑札を検してから、始て慇懃な詞を使うのである。人が雲表に聳ゆる岩木山を指して、あれが津軽富士で、あの麓が弘前の城下だと教えた時、五百らは覚えず涙を翻して喜んだそうである。

弘前に入ってから、五百らは土手町の古着商伊勢屋の家に、藩から一人一日金一分の為向を受けて、下宿することになり、そこに半年余りいた。船廻しにした荷物は、ほど経て後に着いた。下宿屋から街に出づれば、土地の人が江戸子々々々と呼びつつ跡に附いて来る。当時髻を麻糸で結い、地織木綿の衣服を著た弘前の人々の中へ、江戸育の五百らが交ったのだから、物珍らしく思われたのも怪むに足りない。殊に成善が江戸でもまだ少かった蝙蝠傘を差して出ると、看るものが堵の如くであった。成善は蝙蝠傘と、懐中時計とを持っていた。時計は識らぬ人さえ紹介を求めて見に来るので、数日のうちに弄り毀されてしまった。