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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
源吾は津軽承昭の本所横川に設けた邸をあずかっていて、住宅は本所割下水にあったのである。その外東京には五百の姉安が両国薬研堀に住んでいた。安の女二人のうち、敬は猿若町三丁目の芝居茶屋三河屋に、銓は蔵前須賀町の呉服屋桝屋儀兵衛の許にいた。また専六と成善との兄優善は、ほど遠からぬ浦和にいた。
成善の旧師には多紀安琢が矢の倉におり、海保竹逕がお玉が池にいた。維新の初に官吏になって、この邸を伊沢鉄三郎の徳安が手から買い受けて、練塀小路の湿地にあった、床の低い、畳の腐った家から移り住んだ。独家宅が改まったのみではない。常に弊衣を著ていた竹逕が、その頃から絹布を被るようになった。しかし幾もなく、当時の有力者山内豊信等の斥くる所となって官を罷めた。成善は四月二十二日に再び竹逕の門に入ったが、竹逕は前年に会陰に膿瘍を発したために、やや衰弱していた。成善は久しぶりにその『易』や『毛詩』を講ずるのを聴いた。多紀安琢は維新後困窮して、竹逕の扶養を蒙っていた。成善はしばしばその安否を問うたが、再び『素問』を学ぼうとはしなかった。
成善は英語を学ばんがために、五月十一日に本所相生町の共立学舎に通いはじめた。