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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
長尾の女敬の夫三河屋力蔵の開いていた猿若町の引手茶屋は、この年十月に新富町に徙った。守田勘弥の守田座が二月に府庁の許可を得て、十月に開演することになったからである。
この年六月に海保竹逕が歿した。文政七年生であるから、四十九歳を以て終ったのである。前年来復弁之助と称せずして、名の元起を以て行われていた。竹逕の歿した時、家に遺ったのは養父漁村の妾某氏と竹逕の子女各一人とである。嗣子繁松は文久二年生で、家を継いだ時七歳になっていた。竹逕が歿してからは、保は島田篁村を漢学の師と仰いだ。天保九年に生れた篁村は三十五歳になっていたのである。
抽斎歿彼の第十五年は明治六年である。二月十日に渋江氏は当時の第六大区六小区本所相生町四丁目に居した。五百が五十八歳、保が十七歳の時である。家族は初め母子の外に水木がいたばかりであるが、後には山田脩が来て同居した。脩はこの頃喘息に悩んでいたので、割下水の家を畳んで、母の世話になりに来たのである。
五百は東京に来てから早く一戸を構えたいと思っていたが、現金の貯は殆ど尽きていたので、奈何ともすることが出来なかった。既にして保が師範学校から月額十円の支給を受けることになり、五百は世話をするものがあって、不本意ながらも芸者屋のために裁縫をして、多少の賃銀を得ることになった。