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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
いわゆる伝記は今存ずる所の『津軽藩旧記伝類』ではあるまいか。わたくしはいまだその書を見ざるが故に、抽斎の行状が采采択せられしや否やを審にしない。
保の奉職している浜松変則中学枚はこの年二月二十三日に中学校と改称せられた。
山田脩はこの年九月二日に、母五百に招致せられて浜松に来た。これより先五百は脩の喘息を気遣っていたが、脩が矢島優と共に『魁新聞』の記者となるに及んで、その保に寄する書に卯飲の語あるを見て、大いにその健康を害せんを惧れ、急に命じて浜松に来らしめた。しかし五百は独り脩の身体のためにのみ憂えたのではない。その新聞記者の悪徳に化せられんことをも慮ったのである。
この年四月に岡本況斎が八十二歳で歿した。
抽斎歿後の第二十一年は明治十二年である。十月十五日保は学問修行のため職を辞し、二十八日に聴許せられた。これは慶応義塾に入って英語を学ばんがためである。
これより先保は深く英語を窮めんと欲して、いまだその志を遂げずにいた。師範学校に入ったのも、その業を卒えて教員となったのも、皆学資給せざるがために、やむことをえずして為したのである。既にして保は慶応義塾の学風を仄聞し、頗る福沢諭吉に傾倒した。