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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

歿する日には朝から物を書いていて、午頃「ああ草臥れた」といって仰臥したが、それきり起たなかった。岡西氏徳の生んだ、抽斎の次男は此の如くにして世を去ったのである。優は四十九歳になっていた。子はない。遺骸は感応寺に葬られた。

優は蕩子であった。しかし後に身を吏籍に置いてからは、微官におったにもかかわらず、頗る材能を見した。優は情誼に厚かった。親戚朋友のその恩恵を被ったことは甚だ多い。優は筆札を善くした。その書には小島成斎の風があった。その他演劇の事はこの人の最も精通する所であった。新聞紙の劇評の如きは、森枳園と優とを開拓者の中に算すべきであろう。大正五年に珍書刊行会で公にした『劇界珍話』は飛蝶の名が署してあるが、優の未定稿である。

抽斎歿後の第二十六年は明治十七年である。二月十四日に五百が烏森の家に歿した。年六十九であった。

五百は平生病むことが少かった。抽斎歿後に一たび眼病に罹り、時々疝痛を患えた位のものである。特に明治九年還暦の後は、殆ど無病の人となっていた。然るに前年の八月中、保が家に帰らぬを患えて絶食した頃から、やや心身違和の徴があった。保らはこれがために憂慮した。