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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

栄次郎は妹が自分たち夫婦に慊ぬのを見て、妹に壻を取って日野屋の店を譲り、自分は浜照を連れて隠居しようとしたのである。

壻に擬せられている番頭某と五百となら、旁から見ても好配偶である。五百は二十九歳であるが、打見には二十四、五にしか見えなかった。それに抽斎はもう四十歳に満ちている。貞白は五百の意のある所を解するに苦んだ。

そこで五百に問い質すと、五百はただ学問のある夫が持ちたいと答えた。その詞には道理がある。しかし貞白はまだ五百の意中を読み尽すことが出来なかった。

五百は貞白の気色を見て、こう言い足した。「わたくしは壻を取ってこの世帯を譲ってもらいたくはありません。それよりか渋江さんの所へ往って、あの方に日野屋の後見をして戴きたいと思います。」

貞白は膝を拍った。「なるほど/\。そういうお考えですか。宜しい。一切わたくしが引き受けましょう。」

貞白は実に五百の深慮遠謀に驚いた。五百の兄栄次郎も、姉安の夫宗右衛門も、聖堂に学んだ男である。もし五百が尋常の商人を夫としたら、五百の意志は山内氏にも長尾氏にも軽んぜられるであろう。これに反して五百が抽斎の妻となると栄次郎も宗右衛門も五百の前に項を屈せなくてはならない。