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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

抽斎歿後の第三十年は明治二十一年である。一月に『東海暁鐘新報』は改題して東海の二字を除いた。同じ月に中江兆民が静岡を過ぎて保を訪うた。兆民は前年の暮に保安条例に依って東京を逐われ、大阪東雲新聞社の聘に応じて西下する途次、静岡には来たのである。六月三十日に保の長男三吉が生れた。八月十日に私立渋江塾を鷹匠町二丁目に設くることを認可せられた。

脩は七月に東京から保の家に来て、静岡警察署内巡査講習所の英語教師を嘱託せられ、次で保と共に渋江塾を創設した。これより先脩は渋江氏に復籍していた。

脩は渋江塾の設けられた時妻さだを娶った。静岡の人福島竹次郎の長女で、県下駿河国安倍郡豊田村曲金の素封家海野寿作の娘分である。脩は三十五歳、さだは明治二年八月九日生であるから二十歳であった。

この年九月十五日に、保の許に匿名の書が届いた。日を期して決闘を求むる書である。その文体書風が悪作劇とも見えぬので、保は多少の心構をしてその日を待った。静岡の市中ではこの事を聞き伝えて種々の噂が立った。さてその日になると、早朝に前田五門が保の家に来て助力をしようと申し込んだ。五門は本五左衛門と称して、世禄五百七十二石を食み、下谷新橋脇に住んでいた旧幕臣である。