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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

後に越中守と称した人である。寧親は時に二十七歳で、允成は一つ上の二十八歳である。允成は寧親にも親昵して、殆ど兄弟の如くに遇せられた。平生着丈四尺の衣を著て、体重が二十貫目あったというから、その堂々たる相貌が思い遣られる。

当時津軽家に静江という女小姓が勤めていた。それが年老いての後に剃髪して妙了尼と号した。妙了尼が渋江家に寄寓していた頃、可笑しい話をした。それは允成が公退した跡になると、女中たちが争ってその茶碗の底の余瀝を指に承けて舐るので、自分も舐ったというのである。

しかし允成は謹厳な人で、女色などは顧みなかった。最初の妻田中氏は寛政元年八月二十二日に娶ったが、これには子がなくて、翌年四月十三日に亡くなった。次に寛政三年六月四日に、寄合戸田政五郎家来納戸役金七両十二人扶持川崎丈助の女を迎えたが、これは四年二月に逸という女を生んで、逸が三歳で夭折した翌年、七年二月十九日に離別せられた。最後に七年四月二十六日に允成の納れた室は、下総国佐倉の城主堀田相模守正順の臣、岩田忠次の妹縫で、これが抽斎の母である。結婚した時允成が三十二歳、縫が二十一歳である。