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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

是において二世勝三郎の長男金次郎は、父の遺業を継がなくてはならぬことになった。金次郎は親戚と父の門人らとに強要せられて退学し、好まぬ三味線を手に取って、杵勝分派諸老輩の鞭策の下に、いやいやながら腕を磨いた。

金次郎は遂に三世勝三郎となった。初めこの勝三郎は学校教育が累をなし、目に丁字なき儕輩の忌む所となって、杵勝同窓会幹事の一人たる勝久の如きは、前途のために手に汗を握ること数であったが、固より些の学問が技芸を妨げるはずはないので、次第に家元たる声価も定まり、羽翼も成った。

明治三十六年勝久が五十七歳になった時の事である。三世勝三郎が鎌倉に病臥しているので、勝久は勝秀、勝きみと共に、二月二十五日に見舞いに往った。居は海光山長谷寺の座敷である。勝三郎は病がとかく佳候を呈せなかったが、当時なお杖に扶けられて寺門を出で、勝久らに近傍の故蹟を見せることが出来た。勝久は遊覧の記を作って、病牀の慰草にもといって遣った。雑誌『道楽世界』に、杵屋勝久は学者だと書いたのは、この頃の事である。三月三日に勝三郎は病のいまだえざるに東京に還った。

その百十七

三世勝三郎の病は東京に還ってからも癒えなかった。