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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
といった。勝久は此に至って復奈何ともすることが出来なかった。
六月二十五日の朝、勝三郎は霊岸島から舟に乗って房州へ立った。妻みつが同行した。即ち杵勝分派のものが女師匠と呼んでいる人である。見送の人々は勝三郎の姉ふさ、いそ、てる、勝久、勝ふみ、藤二郎、それに師匠の家にいる兼さんという男、上総屋の親方、以上八人であった。勝三郎の姉ふさは後に、日本橋浜町一丁目に二世勝三郎の建てた隠居所に住んで、独身で暮しているので、杵勝分派に浜町の師匠と呼ばれている人である。
この桟橋の別には何となく落寞の感があった。病み衰えた勝三郎は終に男名取総員の和熟を見るに及ばずして東京を去った。そしてそれが再び帰らぬ旅路であった。
勝久は家元を送って四日の後に病に臥した。七月八日には女師匠が房州から帰って、勝久の病を問うた。十二日に勝久は馬喰町と浜町とへ留守見舞の使を遣って、勝三郎の房州から鎌倉へ遷ったことを聞いた。
九月十一日は小雨の降る日であった。鎌倉から勝三郎の病が革だと報じて来た。勝久は腰部の拘攣のために、寝がえりだに出来ず、便所に往くにも、人に抱かれて往っていた。そこへこの報が来たので、勝久はしばらく戦慄して已まなかった。