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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
池田瑞仙の一族は当年の名医である。その墓の行方は探討したいものである。それに戴曼公の表石というものも、もし存していたら、名蹟の一に算すべきものであろう。嶺松寺にあった無縁の墓は、どこの共同墓地へ遷されたか知らぬが、もしそれがわかったなら、尋ねに往きたいものであるといった。
墨汁師も首肯していった。戴氏独立の表石の事は始て聞いた。池田氏の上のみではない。自分も黄檗の衣鉢を伝えた身であって見れば、独立の遺蹟の存滅を意に介せずにはいられない。想うに独立は寛文中九州から師隠元を黄檗山に省しに上る途中で寂したらしいから、江戸には墓はなかっただろう。嶺松寺の表石とはどんな物であったか知らぬが、あるいは牙髪塔の類ででもあったか。それはともかくも、その石の行方も知りたい。心当りの向々へ問い合せて見ようといった。
わたくしの再度の向島探討は大正四年の暮であったので、そのうちに五年の初になった。墨汁師の新年の書信に問合せの結果が記してあったが、それは頗る覚束ない口吻であった。嶺松寺の廃せられた時、その事に与った寺々に問うたが、池田氏の墓には檀家がなかったらしい。当時無縁の墓を遷した所は、染井共同墓地であった。