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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
幕府の儒員に列せられた。『荀子』、『韓非子』、『淮南子』等の考証を作り、旁国典にも通じていた。明治十一年四月までながらえて、八十二歳で歿した。寛政九年の生で、抽斎の生れた文化二年には僅に九歳になっていたはずである。
海保漁村、名は元備、字は純卿、また名は紀之、字は春農ともいった。通称は章之助、伝経廬の別号がある。寛政十年に上総国武射郡北清水村に生れた。老年に及んで経を躋寿館に講ずることになった。慶応二年九月十八日に、六十九歳で歿した人である。抽斎の生れた文化二年には八歳だから、郷里にあって、父恭斎に句読を授けられていたのである。
即ち学者の先輩は艮斎が十六、成斎が十、况斎が九つ、漁村が八つになった時、抽斎は生れたことになる。
次に医者の年長者には先ず多紀の本家、末家を数える。本家では桂山、名は元簡、字は廉夫が、抽斎の生れた文化二年には五十一歳、その子柳、名は胤、字は奕禧が十七歳、末家では庭、名は元堅、字は亦柔が十一歳になっていた。桂山は文化七年十二月二日に五十六歳で歿し、柳※(「さんずい+片」、第3水準1-86-57)は文政十年六月三日に三十九歳で歿し、※(「くさかんむり/頤のへん」