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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
巷説には水戸侯と血縁があるなどといったそうであるが、どうしてそんな説が流布せられたものか、今考えることが出来ない。わたくしはただ風采が好かったということを知っているのみである。保さんの母五百の話に、五郎作は苦味走った好い男であったということであった。菓子商、用達の外、この人は幕府の連歌師の執筆をも勤めていた。
五郎作は実家が江間氏で、一時長島氏を冒し、真志屋の西村氏を襲ぐに至った。名は秋邦、字は得入、空華、月所、如是縁庵等と号した。平生用いた華押は邦の字であった。剃髪して五郎作新発智東陽院寿阿弥陀仏曇と称した。曇※(「大/蜩のつくり」、第3水準1-15-73)とは好劇家たる五郎作が、音の似通った劇場の緞帳と、入宋僧然の名などとを配合して作った戯号ではなかろうか。
五郎作は劇神仙の号を宝田寿来に承けて、後にこれを抽斎に伝えた人だそうである。
宝田寿来、通称は金之助、一に閑雅と号した。『作者店おろし』という書に、宝田とはもと神田より出でたる名と書いてあるのを見れば、真の氏ではなかったであろう。浄瑠璃『関の扉』はこの人の作だそうである。寛政六年八月に、五十七歳で歿した。