轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
しかし事のついでに言って置きたい事がある。大作は津軽家の祖先が南部家の臣であったと思っていた。そこで文化二年以来津軽家の漸く栄え行くのに平ならず、寧親の入国の時、途に要撃しようとして、出羽国秋田領白沢宿まで出向いた。然るに寧親はこれを知って道を変えて帰った。大作は事露れて捕えられたということである。
津軽家の祖先が南部家の被官であったということは、内藤恥叟も『徳川十五代史』に書いている。しかし郷土史に精しい外崎覚さんは、かつて内藤に書を寄せて、この説の誤を匡そうとした。
初め津軽家と南部家とは対等の家柄であった。然るに津軽家は秀信の世に勢を失って、南部家の後見を受けることになり、後元信、光信父子は人質として南部家に往っていたことさえある。しかし津軽家が南部家に仕えたことはいまだかつて聞かない。光信は彼の渋江辰盛を召し抱えた信政の六世の祖である。津軽家の隆興は南部家に怨を結ぶはずがない。この雪冤の文を作った外崎さんが、わたくしの渋江氏の子孫を捜し出す媒をしたのだから、わたくしはただこれだけの事をここに記して置く。
家督相続の翌年、文政六年十二月二十三日に、抽斎は十九歳で、始て妻を娶った。