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しぶえちゅうさい
渋江抽斎
「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页
自己を併せて四人の口を、此の如き手段で糊しなくてはならなかった。しかし枳園の性格から推せば、この間に処して意気沮喪することもなく、なお幾分のボンヌ・ユミヨオルを保有していたであろう。
枳園はようよう大磯に落ち着いた。門人が名主をしていて、枳園を江戸の大先生として吹聴し、ここに開業の運に至ったのである。幾ばくもなくして病家の数が殖えた。金帛を以て謝することの出来ぬものも、米穀菜蔬を輸って庖厨を賑した。後には遠方から轎を以て迎えられることもある。馬を以て請ぜられることもある。枳園は大磯を根拠地として、中、三浦両郡の間を往来し、ここに足掛十二年の月日を過すこととなった。
抽斎は天保九年の春を弘前に迎えた。例の宿直日記に、正月十三日忌明と書してある。父の喪が果てたのである。続いて第二の冬をも弘前で過して、翌天保十年に、抽斎は藩主信順に随って江戸に帰った。三十五歳になった年である。
この年五月十五日に、津軽家に代替があった。信順は四十歳で致仕して柳島の下屋敷に遷り、同じ齢の順承が小津軽から入って封を襲いだ。信順は頗る華美を好み、動もすれば夜宴を催しなどして、財政の窮迫を馴致し、遂に引退したのだそうである。