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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

の「犬」に代えて「火」、第4水準2-1-57)ち去った女好の名は見わすことが出来なかった。

天保十四年六月十五日に、抽斎は近習に進められた。三十九歳の時である。

この年に躋寿館で書を講じて、陪臣町医に来聴せしむる例が開かれた。それが十月で、翌十一月に始て新に講師が任用せられた。初館には都講、教授があって、生徒に授業していたに過ぎない。一時多紀藍渓時代に百日課の制を布いて、医学も経学も科を分って、百日を限って講じたことがある。今いうクルズスである。しかしそれも生徒に聴かせたのである。百日課は四年間で罷んだ。講師を置いて、陪臣町医の来聴を許すことになったのは、この時が始である。五カ月の後、幕府が抽斎を起たしむることとなったのは、この制度あるがためである。

弘化元年は抽斎のために、一大転機を齎した。社会においては幕府の直参になり、家庭においては岡西氏徳のみまかった跡へ、始て才色兼ね備わった妻が迎えられたのである。

この一年間の出来事を順次に数えると、先ず二月二十一日に妻徳が亡くなった。三月十二日に老中土井大炊頭利位を以て、抽斎に躋寿館講師を命ぜられた。