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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森 鴎外

「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 166,525 字 · 334 页

青空文庫

留守に父の亡くなった旅である。それから江戸に帰って、中一年置いて好が生れ、その翌年また八三郎が生れた。徳は八三郎を生んで一年半立って亡くなった。

そして徳の亡くなった跡へ山内氏五百が来ることになった。抽斎の身分は徳が往き、五百が来る間に変って、幕府の直参になった。交際は広くなる。費用は多くなる。五百は卒にその中に身を投じて、難局に当らなくてはならなかった。五百があたかも好しその適材であったのは、抽斎の幸である。

五百の父山内忠兵衛は名を豊覚といった。神田紺屋町に鉄物問屋を出して、屋号を日野屋といい、商標には井桁の中に喜の字を用いた。忠兵衛は詩文書画を善くして、多く文人墨客に交り、財を捐ててこれが保護者となった。

忠兵衛に三人の子があった。長男栄次郎、長女安、二女五百である。忠兵衛は允成の友で、嫡子栄次郎の教育をば、久しく抽斎に託していた。文政七、八年の頃、允成が日野屋をおとずれて、芝居の話をすると、九つか十であった五百と、一つ年上の安とが面白がって傍聴していたそうである。安は即ち後に阿部家に仕えた金吾である。

五百は文化十三年に生れた。兄栄次郎が五歳、姉安が二歳になっていた時である。